第140回 「六中観(りくちゅうかん)」 忙中閑あり(ぼうちゅう・かんあり)
第140回
「六中観(りくちゅうかん)」
忙中閑あり(ぼうちゅう・かんあり)
1.故・安岡 正篤 氏(やすおか・まさひろ)
⑴明治31年(1898年)、大阪市生まれ
※大正11年、東京帝国大学を卒業する。
⑵教育者、思想家、陽明学者
⑶「六中観」は、安岡氏が作成したものであり、彼の「座右の銘(ざゆうのめい)」でした。
※「安岡 正篤 運命を創る 人間学講話」プレジデント社より。
2.六中観の6項目
⑴忙「中」閑あり(ぼうちゅう・かんあり)
①ただの「閑(かん。静か、ひま)」は、退屈して精神が散じてしまう。
②忙中に掴(つか)んだ閑こそ、「本当の閑」であります。
③私の新入社員時代の話です。同一職場に勤務されていた、60代の嘱託(しょくたく)社員の男性のアドバイスです。
※残業、休日出勤で、『超・多忙』な毎日と思う。しかし、「忙中閑あり」という言葉がある。一日20分間でも、時間をつくり出し、精神を集中して、「読書」をしなさい、と。
⑵苦「中」楽あり(くちゅう・らくあり)
①人間も、甘いだけでは駄目(だめ)であります。
②一見、苦味があるが、さて、付き合ってみると、なかなか、甘い、旨(うま)いという人もある。
⑶死「中」活あり(しちゅう・かつあり)
①「身を棄(す)ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」であります。
⑷壺「中」天あり(こちゅう・てんあり)
①人間は、どんな境地にありましても、自分だけの「内面世界」は、つくり得る。
②いかなる『壺中(こちゅう)の天』を持つかによって、人の風致(ふうち。おもむき、あじわい、風趣)が決まるものです。
③壺中天こちゅうてん(または、壺中天地こちゅうてんち)
※別世界、別天地の意味
⑸ 意「中」人あり(いちゅう・ひとあり)
①我々の心中に、哲人・偉人を崇拝憧憬(すうはい・しょうけい。心からうやまい、あこがれること)して、そうした人を懐(いだ)いていることは、尊いことであります。
②私の様な凡人(ぼんじん。普通の人、平凡な人)は、「意中人あり」というと、通常は、『恋人』ぐらいにしか思いません。
⑹腹「中」書あり(ふくちゅう・しょあり)
①頭の中の薄っぺらな、大脳皮質に、ちょっぴりと刻まれた程度では駄目なのです。
②わが腹中に哲学、信念がある、「万巻(まんかん。多くのまきもの・本)の書」がある。そうなっていないと、いけません。
以上です。